ソフィア日本人会について

1. ソフィア日本人会とは

 

 

 当会は、ブルガリアに居住される邦人、またその家族によって構成される任意団体です。
2002年12月末現在ブルガリアの在留邦人は約130名。うちソフィアに居住されている
方を中心にご家族含めて約90名で構成されています。
その活動は、山菜狩り、チェリー狩り、スポーツ大会、忘年会など年間5〜6回の行事を行って
会員相互の親睦を深めています。
その活動については別ページに紹介していますが、山菜狩り、チェリー狩り、スポーツ大会、忘年会を中心に年間 5−6回の行事を行って会員相互の親睦を深めています。

 ご存知の通りブルガリアに在住する邦人の数は少ないこと、日本レストランも少ない事 (ソフィアに 1軒しかありません)、娯楽設備が他国に比べて多くないことから、これらの活動を通じて、会員相互に家族的なお付き合いをしています。 日本から駐在ベースで赴任している人の任期は大体2−3年でこれも他国に比べ 比較的回転が速いようです。 他に特徴と言えば、比較的若い年齢の方が多いせいもあるのですが、教育の問題もあり 小学校までのお子さんはいますが、それ以上になると 単身赴任で家族を日本に置いてきたり 或いは子供を 先進国に留学させるという人もいて、中学生以上のお子様が少ないという事があります。 日本人学校はありませんが、小学生中心の補習校はあります。 

 

2.ソフィア日本人会のあゆみ         

 

ソフィア日本人会副会長 吉田 英二

 

 宮越会長から日本人会のホームページを立上げるこの機会に、これまでの会の歩みを綴って欲しいと依頼されましたが、資料が一元管理されていないため散逸し、特に '85年以前のものは皆無、またこれを補うべき筆者の記憶も心もとなく正確になぞれない のが残念です。

 たしか会の前身は「ソフィア駐在員会」というもので、'73年頃、商社やメーカーの代表が スーツケースひとつで三々五々、今のシェラトン、リラホテルに拠点を構えたものの、 ブルパスも貰えずアパート住まいや車、テレックスの保有、秘書の雇用も許可されず途方に暮れ、共通利益確保の為に当局に陳情することを目的とし結成されたのが発端です(筆者は会の書記でした)。  その後、'76年にこれらの問題が解決し、徐々に家族呼び寄せも始まったのを機に、大使館とも打合せ同年12月に「日本人会」に衣替えしたものと記憶しています。 邦画上映、山菜・ チェリー狩、鮨パーテイ、バーベキュー、ソフトボール大会等の行事は当時のないない尽しの 耐乏生活から発案されたものです。 また反面、治安は格段に良かったのでタルノヴォ、プロブデイフ(当時は片道3時間)、メルニック、ヴィデインなどまで一泊旅行で足を延ばし、名所・遺跡巡りをしたり、郷土の民芸品を 求めたり夜は夜で輪になって酒盛りをしたこともありました。 

 その後、チェルノブイルリの原発事故を契機に安対協の設立、緊急連絡網の整備、大使館の厚意で 医務官への医療相談、補修校開設など在留邦人の生活環境改善の為に活動の枠を拡げていき、 今日に至っています。'89年のルーマニア革命で銃弾をかいくぐってソフィアに避難して きた同国在留邦人の受入れ、レストラン 「桜」での炊き出しなども思い出深いエピソードです。  '87年には「日本人会便り」が創刊され、探検隊によるソフィア情報、識者による ブルガリア紹介等が掲載され、新たなブルガリア発見とともに会員間の絆を強める器として 役立っています。  

 創立から四半世紀が流れ、物資があふれ、IT等のインフラも整備され、在留邦人の層や 当地での仕事の領域も多様化した今、会の行事や活動も時代に即応したものが求められる処、 今回のホームページ開設は会の歴史の中で象徴的、画期的かつ時宜を得たものと思います。 外部との交流はもとより、なおソフィアに想いを寄せる元会員との交信も復活するツールとなり、今後どんな輪になっていくのか大変楽しみです。